わたしの来た道 vol.08 (池田 晋悟)
私は、広島の800床の病院の胸部外科レジデントであった。心臓血管外科と循環器内科が一緒で救命救急も兼ねていた。手術日には、心臓、肺、血管外科手術、ペースメーカー手術、それ以外は循環器内科医と共に1日に10件の冠動脈造影や拡張術にも参加していた。そのため月の3分の2以上は病院に泊まっていた。気胸や肺がんもそれなりに多く気胸や血管手術は定時の手術日ではこなせず、緊急手術として嫌みな麻酔科部長に頼みに行くのも私の仕事であった。三井に来てからの緊急手術ウエルカムな体制に大変驚いたものである。
当時の肺がんの手術は、現在も多くの施設がそうであるようにリンパ節の腫大があれば手術の適応では無かった。当時は効く抗がん剤もそれほど多く無く肺がんの手術にはある種の無力感の様なものを感じていた。そのころ、学会や先輩の三苫先生から三井での研修や手術について聞き、リンパ節の廓清を徹底的にやっているとのことだった。当時は心臓血管外科医を目指していたが、肺の手術はこれではいけないのではと思い始めていた頃でもあった。
肺は左右両側にあり心臓と肺門で繋がり、血管やリンパの流れは肺から気管支、気管へと流れ左の鎖骨の根元へと注ぐ。多くの場合、リンパ節廓清は片側のみで大丈夫であるが、リンパ節転移が疑われる場合には、気管は1本でその周りにはリンパ節やリンパ管が張り巡らされており、片側だけでは不十分な場合もある。そんな頃、胸骨正中切開(胸骨:胸の真ん中にある聖徳太子が持っているような笏のような骨)で気管の左右のリンパ節をすべて廓清する手術を三井の羽田圓城先生が行っていると聞き、心臓から肺へと興味が移っていった。
廓清し局所制御することで再発や転移の可能性を減じ、予後の改善をはかる、まさしく手術で患者さんの命に貢献できると感じた。羽田先生からは取りあえず三井に来なさいと言われたが、専門レジデント枠はすでに埋まっていた。呼吸器を勉強した後に循環器も見学して帰ろうと思っていたが、循環器枠に空きがあり急遽、循環器の専門レジデントになることとなった。当時は須磨先生、鰐淵先生などがおいでになり多くのことを学ぶことが出来た。私の悪いところであるが、かつては心臓外科医を目指していたこともあり、気管支鏡や肺のわかる心臓外科医か、人工心肺下にも手術できる呼吸器外科医になるか少しの間悩んだが、本来の目的を思い出し呼吸器外科医として生きる決心をした。
羽田先生オリジナルのこの術式は、通常手術では切除できないリンパ節を切除することにより手術成績の向上を目指す方法である。だれでもこの方法のメリットを享受できるわけでは無く、対側のリンパ節にも転移があれば他の施設では切除不能となる方でも手術可能となる場合がある。もちろん内科的治療法がよい患者さんもいるため何でも手術してとるわけではない。この方法は、日本のみならず欧米の呼吸器外科医からも興味を持たれている。
現在は、手術だけでよい場合もあるが、患者さんによっては手術後に化学療法や放射線治療を含めて集約的な治療により更なる成績の向上を目指している。
肺がんは手術が済めば終わりでは無く、術後の再発転移を速やかに発見し迅速な対処をすることが大切である。手術後の1年1年が患者さんにとっても大切であり、術後1年毎の節目のチェックの際には、何も無ければ患者さんと握手をして共に喜ぶことにしている。それが、患者さんの命を積み重ねることができた事の喜びであり、呼吸器外科医になってよかったと思える瞬間でもある。
出典:三井記念病院広報誌『ともに生きる』「智情意」(Vol.12、2014年10月23日発行、三井記念病院 広報部)