わたしの来た道 vol.11 (中嶋 義文)
死には四つの死がある。社会的な死、精神的な死、身体的な死、そして記憶の死である。人間は社会的な存在であるから、疎外されたり役割を失うと死に体となる。精神活動はヒトをひとたらしめているものであるから、考えたり感じたりすることができないヒトは生きているとはいえない。生物としてのヒトには寿命があるから、いつかは塵に還る。しかし、あなたは記憶されているかぎり永遠に生き続ける。
記憶とは不思議なものである。私の最初の記憶は長崎の原爆記念公園の白い砂である。それは近所に住んでいたまだ若い両親に幼児は散歩に連れて行かれたのだろうか。夏の日差しが反射して現実よりも白く輝く砂地の記憶が、大好きな南方の島々の白砂のビーチでサングラス越しに眺めている瞬間に想起される。今は吹き抜けの何もない空間となっている渋谷の東急文化会館の最初に妻と逢ったその場所を通るたびに、彼女の姿が最初に見かけたままにありありと浮かぶ。音楽サービスが自動的に選んでくれる曲が当時の高揚感や切なさを運んでくる。カナリア諸島の砂漠で全裸で凧を揚げているのを見かける朝。エンジェルフォールの飛沫が見上げる顔にかかる真昼。ガラパゴス諸島でアシカと一緒にシュノーケリングする午後。クック諸島のビーチで遠浅の海岸線を白馬がゆっくりと横切るのを犬や猫をそばにおいて眺めていた夕刻。屋久島でアオウミガメの産卵を待ちながらあたたかい砂浜に寝転ぶ夜。時空に記憶を反芻する。
ひとの話を聞くことを職業としていると、目の前のひとが記憶の集積であることがよくわかる。辛い記憶や幸せの記憶、過去のそれらの記憶やこの瞬間の記憶。さまざまな時空の記憶を紡ぎ上げ、場合によっては改変し、再構成する。それが語ることの本質である。語られる(あるいは語られない)記憶がそのひとを作り上げている。三井記念病院入院中のひとに、メンタルクリニックの外来にやってくる生きにくさをかかえるひとに、メモリークリニック(物忘れ外来)で出会う目の前の認知症をもつひとに、三井陽光苑に住まうひとに、そのひとの生きてきた記憶、人生を観る。たとえ物忘れが強く、自ら語ることが出来ないひとでも、周囲のひとたちによって語られる記憶の集積が焦点を結び始めそのひとの像が浮かび上がる。そこでは91歳のにこにこと座っている女性の中に、17歳で仕事を始めたばかりの娘さんが、34歳で家事と育児に忙しい母親が、51歳で夫を亡くして悲嘆の中気丈に振る舞う寡婦が同時に存在している。
さまざまな記憶、人生に触れることは私の天職となっている。私はあなたを記憶している。あなたは永遠に生き続けるだろう。
出典:三井記念病院広報誌『ともに生きる』「智情意」(Vol.16、2015年10月23日発行、三井記念病院 広報部)