医師を志す学生へ伝えたい、日頃疑問に思うことの重要性

三井記念病院の病院長で、東京大学医学部胸部外科の前教授を務めた髙本眞一先生。かつて髙本式逆行性脳循環法を開発し、弓部大動脈瘤手術の成功率を飛躍的に高めた。教務委員長として、東京大学医学部の医学教育の改革にも熱心に取り組んできた。今回は、先生のこれまでのご活躍や医師としてのお考えを伺った。

先生の学生時代をお聞かせください。

昭和40年に入学し、ボート部に入って、部活に熱中していました。医学科に進学した頃に、上の学年はストライキいわゆる東大紛争に入っていましたから、本郷にいった途端から授業がありませんでした。学生運動は非常に激しいものでした。授業はないが、毎日学校に行っていました。クラス会がほとんど毎日開催されて、時計台に突入するべきかどうかを議論していました。結局突入はクラスで否決されましたが。その頃はまだストライキが医学部内にとどまっていましたが、時計台に突入した学生たちが出てきたのをきっかけに全学に広がりました。そのうち関係者が逮捕されて下火になり、ようやく勉強しようという雰囲気になりました。ストライキは3月に終わり、4月から授業が始まりました。そういう経緯があって卒業が1年延びました。

卒業後のお話をお聞かせください。

卒業後どうしたいのかはあまり考えていませんでしたが、外科に進めば内科の知識も同時に学べると思って外科に進みました。当時は大変なことをしてこそ医者だというのが一般の認識だったから、外科が非常に人気でした。外科志望の学生が多すぎて、東大の外科では全ての学生を受け入れられないということで、抽選が行われました。志望した学生のうち半分くらいしか外科に行けませんでした。僕は抽選が外れて東大に残れませんでした。当時、外部病院でレジデントを募集していたのは、虎の門病院と聖路加国際病院だけでしたが、試験があると聞いて諦めました。なにしろ学生時代はボートばかりしていて、勉強は卒業してから始めればいいと思っていましたから。そんなとき三井記念病院に先輩がいるのを思い出して、話を聞きにいったところ、一人前の外科医にしてやると言われ、試験を受けることなく採用してもらいました。三井記念病院には5年間いましたが、最初の5年で3回も食道の手術をすることができました。

その後、ハーバード大学医学部で1年半研究留学しました。留学時代は楽しいものでした。チャンスがあるならみなさんも留学したらいいと思います。あの頃は心臓外科ではアメリカのほうがかなり進んでいて、例えば冠動脈バイパス手術を日本ではまだ全然していなかった時期に、毎日施行していました。今では日本の心臓外科もかなり進歩してきて、アメリカは日本の10倍ほどの手術件数があるにもかかわらず、日本のmortalityはアメリカの半分ほどで、好成績を出しています。

帰国後は埼玉医科大学で勤めていました。埼玉医科大学時代で面白かったのは、カラードップラーです。カラードップラーの開発グループに所属していました。今ではカラードップラーが当たり前のように用いられていますが、当時は弁逆流を調べるにはパルスドップラーを用いるのが一般的で、その検査には40分もかかっていました。カラードップラーを用いれば、弁逆流の重症度は10秒でわかります。このことをヨーロッパで初めて発表したところ、非常に驚かれた思い出があります。

僕は考えるのが好きです。わからないこと、知らないことだらけです。教科書にはいろいろなことが書いてあるけど、本当にそうなのだろうか、と疑問を感じることはたくさんあります。今正しいと思われていることが間違っているかもしれないのです。例えば、PCIが出てきた初めの頃は、PCIが冠動脈バイパス手術に取って代わって、外科医によるバイパス手術はなくなるのではないかと言われていましたが、現在はバイパス手術の方が好成績であることが判明しています。PCIは症状を改善できますが、長期の予後は改善されないことが判明したのです。また、かつては腎結石になったらビールを飲むと良いと言われていましたが、今ではビールは良くないことがわかっています。もう一つ例を挙げるなら、以前は、手術後は安静にしているのが良いと言われていましたが、今では早期離床するのが良いと言われています。

考えることが好きだったから、逆行性脳循環法の開発にも大いに関わることになったのだと思います。大動脈弓部手術時には低体温にします。低温下での脳保護の安全限界は30分ほどですが、手術がそんな短時間で終わるはずがありません。どうしたらいいのかというと、オーソドックスには大動脈弓から巡行性に血液を入れます。巡行性脳灌流法と呼ばれるものです。それに対して、天理よろづ相談所病院の上田先生が報告したのが、静脈から酸素化血を脳に送るという方法でした。この逆行性脳循環法を上田先生が始め、次に僕が応用させました。

静脈は通常酸素が少なく暗い色をしていますが、低温下では、酸素が増えて明るい色になります。なぜなら低温下では酸素消費量が少ないからです。このことを何かに使えないかと考えていました。その機会が巡ってきたのは公立昭和病院で勤務していた頃でした。

公立昭和病院で手術をしていた時、大動脈弓部の分枝に鉗子をかけていましたが、そのうちの頸動脈の鉗子が偶然外れてしまいました。外れた時に流出した血は暗い黒っぽい色をしていました。これは静脈から脳に血流が行ったのちに動脈に血が流れたから、動脈血が黒っぽい色をしているのだとその時気付きました。

それから一ヶ月後に、弓部大動脈瘤という前回と似た疾患の患者が来ました。肺と動脈との癒着を剥がしている途中で動脈が破裂してしまいました。出血しないよう、手で抑えました。緊急事態で周囲の先生たちも焦っている中、逆行性脳循環法を試すしかないと考えました。試した結果うまくいきましたが、それは日頃考えていたからこそうまくできたのだと思っています。

公立昭和病院の心臓血管外科の創設に際して異動になった当初は、心臓外科医として将来が閉ざされたと思いました。心臓外科医としてどんどん手術して腕を上げたい時期で、異動後の手術件数が激減するのは明らかでした。そんな時、患者さんに元気付けられました。医療では、医師が患者さんを生かすだけでなく、患者さんによって医師も生かされることに気づかされました。

患者さんとともに生きることの大切さを知ったそんな異動でしたが、ある時阪大の川島教授から電話がかかってきました。僕がカラードップラーについてアメリカの胸部外科学会で発表していた頃、川島先生も発表でいらしていて僕の発表を聞いて覚えていてくださったようです。電話をかけたのは、国立循環器病研究センターの血管外科の部長が異動になるから、来ないかということでした。そういうわけで、公立昭和病院で勤務した後、国立循環器病医療センターに行きました。その後、東大に戻りました。

なぜ心臓外科医になろうと決められたのですか?

心臓外科医になると決めたのは、7年目でした。当時心臓外科はまだ未発達の分野で、そこが面白いと思いました。

心臓血管の手術において大切なことはなんですか?

心筋保護を確実にすること。癒着剥離をしっかり行うこと。視野をしっかり確保すること。手術の手順をよく頭の中で整理し、理屈通りのことを効率良くすること。手術に限らず、全体を考える力は大切だと思います。手術ではどうしたらいいかわからないこともあります。例えば、重症の感染性心内膜炎では切って開けてみないとどう手術すればいいのかわかりません。そんな時、頭の中でするべきことが整理されているかどうかが勝負になってきます。

取り組んでいらっしゃったこともしくは現在取り組んでいらっしゃることを教えてください。

教育には力を入れてきたと思います。東大の教務委員長を2000年から2005年まで務めていました。東大に戻った時に驚いたのは、教育のカリキュラムが自分の在学時とほとんど変わっていなかったということです。教務委員長を依頼された2000年の時点では、教授になってから3年目ほどで、手術もしたい時期だったので悩ましかったが、引き受けることに決めました。ハーバード大学からアメリカの医学教育の権威である乾先生が訪日して、どういう方向にするべきかを教えてくれました。5年間でカリキュラムを根本的に変えました。今では、系統講義試験はその科の講義が終わるたびに行われていますが、当時は2、3月に全ての科の試験が集中していました。学生さんにとっては大変な負担で、どんなに優秀な人でも全てを本試験でパスするのは難しかったようです。学生さんの意見を聞きに行ったところ、試験が分散している方が良いという意見が多かったから、現在のように分散する形で試験が行われるようになりました。教育を改善するために、学生にも教授にも意見を聞きにいったものでした。「医の原点」の講義も僕が作り出したものです。医療とは何なのか、何のためにあるのかを学生たちに考えてもらいたかったのです。

教育はとても重要だと思います。教務委員長には情熱が必要です。大切なのは、Mission、Passion、Actionの三つです。Missionとは何のためにやるかを考え、 Passionで情熱を持って、Actionで行動するということです。

僕はsimpleに考えていました。医療は患者のためのものなら、教育は学生のためにあるもの。この考えのもとで、カリキュラムの改革をしていきました。他の先生からもやっとまともな教育になったと言われました。中には巨象が動いたと言ってくれた先生もいました。

また、現在アジア心臓血管外科学会の理事長をしていますが、世界中の人たちのコミュニケーションを良くしていこうと思っています。

2000年から日本心臓血管外科手術データベース機構にも携わっています。患者さんのためになると思って、データを集めています。

最後に学生へのメッセージをお願いします。

前のところでも言いましたが、Mission、Passion、Actionの三つが大切です。その中でもっとも大事なのはMissionです。医療は、誰のためのものか。患者さんのためです。その上でPassionをもってActionを起こせる医者になってほしいです。

「患者さんに伝えたい医師の本心」

髙本先生のお書きになったご本をこの場をお借りして紹介させていただこうと思います。お写真のなかで先生が手に持っていらっしゃる本です。髙本先生がどのように医師として勤務されてきて、患者さんに接してどんなことをお考えになったのか様々なことが書かれています。上司と意見がぶつかって異動になっても、周囲に勧告されても、正しいと思ったことを決して曲げず、熱意を持って行動なさった先生の姿が浮かび上がります。読んでいて、長いものに巻かれて流されるままに生きてきた自分が思わず恥ずかしくなりました。同時に、きちんと信念を持って生きようという決意にかられ、元気をいただきました。皆さんも是非読んでみてください。(『鉄門だより』編集部 張乃文 山崎晃 和田拓己)

出典:『鉄門だより』(2016年11月号、鉄門倶楽部)

髙本 眞一2009年4月〜2018年6月 院長

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