わたしの来た道 vol.20 (中口 博)

私の父親は耳鼻科医で、幼少時から医者が最も身近な職業でしたが、小学校時は医者には恐怖心がありました。鉄棒のやりすぎで豆が化膿し蜂窩織炎になった時、病院の処置室で麻酔なしで切開されあまりの痛みに言葉も出ませんでした。軽い腹痛があり自分ではただの風邪と思っていたら虫垂炎と言われそのまま手術になりましたが、当時は局所麻酔でありその痛さは今でも忘れられません。病院に行けば痛い目に合うというのがその頃の私の印象でした。

医者への恐怖心を和らげてくれたのが、小さい頃からの自然科学への興味でした。小学5年時プランクトンに夢中だった私は、父親に誕生日プレゼントで顕微鏡を買ってもらいました。中学1年時に手塚治の『火の鳥』を読み階層宇宙説や生命の誕生の物語に感動しました。高校時代はアイザックアジモフの科学エッセイに夢中になりました。科学を知れば知るほど、世の中が緻密で完全なものに見える反面、さらに謎は深まります。私が医者を目指したのは、年齢とともに医者への興味が恐怖心を上回ったことに加えて、人体が最も身近な自然科学のパーツであり自然の謎にたやすく接近できると考えたからかもしれません。小学校時の手術の衝撃が、逆に人体を切って病気の原因を直接観察し治療する外科医への関心をもたらし、外科系の中でも意識や心象世界を作り出す謎に満ちた脳を直接治療する脳神経外科に特に興味をもちました。

脳神経外科医は、医師としての厳格な道徳倫理観のみでなく、昼夜を問わず脳卒中の治療や緊急手術に対応するため、特別な職業倫理観が必要です。山本七平の『日本資本主義の精神』より、江戸時代の鈴木正三から始まり石田梅岩の石門心学で完成を見た日本独自の資本主義的道徳心=日々の労働そのものが仏教的修行で、勤労を通じてしか解脱(=精神的安寧)は得られないとする日本独自の職業倫理観の系譜があることを知り、代償や報酬のみを求めない脳神経外科医としての労働観に合致していると感じました。

山形大学医学部を卒業後、富士脳研病院を皮切りに、東京大学医学部附属病院、亀田総合病院、埼玉医科大学総合医療センター、諏訪中央病院、東京厚生年金病院、寺岡記念病院、帝京大学ちば総合医療センターなどでさまざまな脳外科手術を学んできました。実戦を通して私が特に重要だと思ったことは、地域医療なくして脳神経外科診療は成り立たないこと、過酷な脳神経外科のゲンバには内外のチームワークが何より大事であることです。指導医としては、手術や治療だけではなく人を束ねることも重要です。

このように思い起こすと、私がこれまでの人生で遭遇したさまざまな体験が、現在の私の仕事に必然であったと言えます。宇宙の構成要素である人体の内部や病気の原因と治療を通じて世界の謎に迫りたいという学生時代のフロンティアスピリッツを忘れずに、今後も脳神経外科医としての人生を歩んでいきたいと思っています。

出典:三井記念病院広報誌『ともに生きる』「智情意」(Vol.25、2018年2月21日発行、三井記念病院 広報部)

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中口 博 (脳神経外科 部長)

中口 博脳神経外科 部長

1989年
山形大学医学部 卒業
東京大学医学部附属病院 脳神経外科 研修医
1995年
諏訪中央病院 脳神経外科 医長
1997年
東京厚生年金病院 脳神経外科 医長
1999年
陽正会寺岡記念病院 脳神経外科 医長
2004年
帝京大学医学部附属市原病院(現 帝京大学ちば総合医療センター) 脳神経外科 講師
2010年
帝京大学ちば総合医療センター 脳卒中センター 准教授
2012年
三井記念病院 脳神経外科 部長
学会認定
日本脳神経外科学会認定脳神経外科専門医・指導医・学術評議員
日本脳卒中学会認定脳卒中専門医
日本脊椎外科学会認定医
専門分野
脳卒中
脊椎病
脳腫瘍
頭部外傷
神経放射線画像研究
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